それでは紙芝居も、古典になればなるほど見どころがあるのか…というと、こちらは、絵本とはまた違った経緯がございます。
紙芝居は、そもそも「駄菓子売りの客寄せ」のために生まれたため、絵本のように、作品世界の奥深さや画面の美しさを求められるよりも、むしろ、ナンセンスな展開とグロテスクな絵で気を引き、さぁこれから!という場面で唐突に打ち切って「つづく」としてしまい、また明日も小銭を握りしめて通わざるを得なくする……初期のころは、そんな作品が街角で演じられていました。
次第に、この時代に唯一に近い「絵が動く物語」の表現力に着目し、脚本と絵の質を高めて、幼児教育やキリスト教伝道にも使われるようになったまさにそのとき、戦争がはじまりました。
ここで、紙芝居は、子どもだけでなく大人にも
「戦争に協力しなさい」
「兵士として立派に命を捨てなさい」
と訴えるツールとして、国に利用されました。
そして敗戦後、日銭稼ぎの街頭紙芝居が復活するかたわら、もうひとつ、紙芝居に新しい流れがうまれました。
「もう二度と、紙芝居を戦争に使わせない」
「これからの紙芝居は、平和と共感をわかちあうものでなくては」
そう考える作家や編集者らが集まり、そして紙芝居の出版社がうまれ、あたらしい文化としての紙芝居が育ちはじめたのです。
この、新たな時代の紙芝居には、むしろ「クラシック絵本」に通じるようないつまでも語り継ぎたい作品がたくさんございます。
そこで、これらを「モダン紙芝居」として、「クラシック絵本」とならべてご紹介していきたく思っております。